台湾茶の世界へようこそ【第1回目:台湾茶の歴史】 

はじめに

烏龍茶のバナー

台湾生まれ日本育ちの台湾良品スタッフが台湾茶についてわかりやすく解説していきます!

さて、皆さんは”台湾”と聞いたら、何を思い浮かべますか?
パイナップルケーキ、マンゴーかき氷、小籠包、九份、夜市…などなどがパッと思い浮かぶ方が多いのではないでしょうか?

ここ、台湾良品では台湾に来たことがある方やまだ台湾を訪れたことがない方に厳選した台湾お土産、贈り物、商品をお届けしています。

台湾茶イコール烏龍茶なの?!

前置きが長くなりましたが、いま、私が最もオススメするものといえば、なんといっても【台湾茶】です!

台湾茶?って烏龍茶のことじゃないの?と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、烏龍茶だけが台湾茶というわけではありません。

ということで、記念すべき”台湾茶の世界へようこそ”シリーズの第一回目は、「台湾茶の歴史」についてです。早速、台湾茶の成り立ちについてみていきましょう!

台湾茶の歴史

1796年、清朝の商人が烏龍茶発祥の地である福建省から烏龍茶の苗木を台湾に持ち込んだのが台湾茶の始まりとされています。ただし、当時はまだ中国式でのお茶づくりでした。

1865年、イギリス人のジョン・ドットさんが福建から大量に茶苗や種を持ち込み、農家に貸し付け、収穫後それを買い取り、諸外国に輸出をしたことから台湾茶マーケットは拡大していきました。

1895年、日清戦争で日本が勝利すると台湾は日本統治下となりました。
統治政策の一環として、いち早く台湾へ進出してきた三井合名会社(後の日東紅茶)は紅茶に関する試験場を設置し、イギリス方式の大量生産方式を導入、各地に茶工場を建設していきました。

💡魚池紅茶の誕生💡

台湾中部の観光名所、日月潭の近くにある魚池郷はアッサム地方に環境、気候が似ていることからこの地域から紅茶の栽培が始まりました。
台湾紅茶の父とも呼ばれる新井耕吉郎さんの技術指導のもと高品質の紅茶ができ、ロンドンで大人気を評し、台湾紅茶黄金期を迎えました。

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第二次世界大戦後、それらの設備は国営会社に引き継がれましたが、日本統治時代に台湾茶産業の基礎が築かれたといっても過言ではありません。
終戦後、国内でのお茶に対する需要が高まったこともあり、今日では台湾各地で多種多様のお茶が栽培生産されています。

次回は、台湾十大名茶について一つ一つ解説していきます。お楽しみに!

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